服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

tomatotiger8.sakura.ne.jp

七山街道

久しぶりに七山へ行った。”七の湯”の少し先の「A3ギャラリー」の北島治樹、先崎民憲、松尾栄太郎の和紙による3人展。
古民家を改築した素敵なギャラリーのフレッシュな作品展であった。その帰り農協のスーパーがあったのでそこから唐津方面を向いてスケッチした。ブロッコリーのようなカシ山が黄金色に輝き周りは桜去って新緑の景色となっている。道路の奥の方から救急車が赤いライトを点滅しなが勢いよく画面を通り過ぎて行った。
 
他15人
 

田園の鍵

「田園の鍵」マグリット1933年。
こんな空間解釈をした作家は他にない!彼はこの様式をどこから持ってきたのか?それは知らないが必ず出所はある。突然湧いてくるものでもない。しかし彼の解釈は判り易く、最早、現代における現代人の空間認識である。絵画や映画では当たり前のように堂々と異なる時空の融合、重曹化がなされている。マグリットにしても何かを引用したと思うのだけど、もうそんなことはどうでもよい。新しいと思っているものでも意外に古かったりする。
マグリットにしてもちょっと前の人であり。我々もマグリッドと存分に共有している訳である。
※Tクリニックにて画用紙にクレヨンで描く。
 
 
 
 

きゃーつぐろ

枯れた葦原から新しいヨシがぐんぐん出ていた。田んぼの畦道にも出ていた。☆筑後川を渡ろうと困っていた旅の僧(弘法大師)が助けてくれた漁師へのお礼にと、葦の葉を川に流したらところエツになったという話もある。ボクたちは葦の葉を幾重にも巻いてラッパにした。♪ブォーブォー♪
 
 
 

きゃーつぐろ

晴れの日は山も空も近くに見え広々としている。もうむずかしいこともややこしいこともそこにはない。夢も希望とも違う何も要らないという感覚があるというのかな!
※この位置からはいつものことながら手前の彦岳が天山より高く見える。ハゼはまだ枯れたまま、クリークでは頭の白バンとたまにカイツブリを見る。ご当地ではカイツブリより”きゃーつぐろ”の方が親しみがある。
 
 
 
 

Kashmir・デジャブ

Kashmir・デジャブ>
クリーク公園で親子が木の橋の上からクリークを覗いていた。カメかメダカが見えたのだろうか?
公園の西方にはかつての村が楠に覆われ、その上に病院のてっぺんが突き出ている。
中学生の時その村の友達に誘われて自転車で遊びに行った。こんな遠いところから学校へ来てるんだ!!見渡す限りの田んぼの中を歩いた。クリークがあり井樋に下りてウナギを捕った。
その風景がデジャブのようにこの場所と重なったのはこの公園が出来てからのこと。ショッキングにうれしかった。360度見渡しても田んぼだけの何もない異国に来たような不安な気持ちもどこかにあったあの日あの時。When movin through Kshimir
 
 
 
 

枯れ葦の向こう

<枯れ葦の向こうに>
桜散って、枯れ葦の向こうに新緑の樹木が麦畑が、またその向こうには佐賀の山・天山が彦岳に重なって見える。季節は突然来るわけではない、重なり合いスライドしながら現れる。
 
建介
 
 

雨の交差点

今日は雨。幽かな雨音が部屋に届く。
☆そう言えば、映画ダイハード5だったかな?
B・ウイルスの車に娘婿が同乗し、ライジオかカセットテープの曲が流れる。CCRの”雨を見たかい””Have you ever seenn the rain”。
それを聞いて息子が言う「親父さんはまだこんなカビ臭い曲を聞いてんのかい・・」と!カビ臭いと言うところが面白い。邦訳だけど。
☆♬晴れの日に降る雨があるという その雨を見たかい♪