卒業・修了制作展多様なジャンルの力作がずらり。
眼鏡忘れ顔面接写で作品をじっくり見ていた。
振り返ると「はっとりさんこんにちは」とリクルートスーツのきれいな女性が笑顔で立っていた。「一瞬!?!?」。
「Tまりもです」、まりもさんだった。昨年の同展にまりもさんは和紙で鎧兜の武者を作り木材の馬に股がらせた。保田君も今年から佐賀北高の美術の先生、すでに非常勤ででているとのこと。
まりもさんは千葉県警に決まったと。美術や広報が充実していると面接で確認済みだそうで、はつらつとされていた。そう、彼女、確か千葉の出身ではなかったか。
戦後の日本映画にもとても詳しくて、これからも立体、映画は彼女のアイテムとなろう。
むずむずうきうきとするこんな春が確かにあった。
悩める春もよし、胸膨らむ春もよし。がんばれ!
「1:83832」小形和
模造紙の切り絵ということであるが、切り抜かれた模造紙は最早紙ではなく繊維だけでぎりぎりつながった「あるもの」物体でもない風でもないなにかである。
プラスチックの箱には切り抜いた残骸というかピースが積もっている。
題名が時間ではないだろうが、膨大な時間を費やしたと思う。そんことはこの世界では当たり前のこと、どうでもよい。生命体、ただの物体それぞれが巡る輪廻転生のごとくである。
70年ごろに起こった概念だと思う。コンセプトアート、もの派な東洋と西洋のはざ間にある感覚であろう。と同時に残骸は提示すれば新たな作品となるのである。
限られた美術館の壁に矩形のもぞう紙。終わりなく繰り返すエネルギの行きつく場所がここ現在、この場所、作品といことにもなってくるのだが、終わりえない深い喜びみたいなものはやったひとにしかわからない。そうやって美術、アートは人に寄り添うと見せて常に距離を捕るのである。この作品から様々な事象が創作させられる。ありがとう。がんばれ。
「でっかいダンボール」内部 谷倉 咲
かわいいキャラの隠れ家、子供たちが大変喜ぶだろうと思う。
「でっかいダンボール」外部 谷倉 咲
邪魔なように置かれているところが、この作品が成功しているところ。
これもまた、美術館のホワイトキューブって何だろうと、頭をよぎる。
そんな皮肉はないだろうが、解放感のみがスパークした。
昨年は学部3号館まですべてを楽しんだが、今回は美術館1階しか見られなく、残念、申し訳ない。