服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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麦畑の向こう

<麦畑の向こうに>
完璧という概念は時間という枠の中での出来事のようである。言ってしまえば全てがそうなんであるが、ふと思うことは思考を元気づかせる通路みたいなものだ。田んぼの麦も雪が降ろうと雨が降ろうと確実に伸びている。もう土の部分が完全に見えなくなった。何もないところに突然現れた白い電車は一瞬のうちに表れ、消えていく。☆美術館でばったりと10年ぶりぐらいに元広告代理店のK氏と会った。K氏は「今は街づくりに関係した仕事をしている」と言い、かつてはイベントをやって入場者の数字に一喜一憂していた。次の日にはそこに誰もいないと・・。山があり田んぼがあり川がありそこで暮らす人々の街がある。餌をまくだけではその場限りである。街という風景は人があって、初めて街なのである。ボクが思うことは彼の考えでもあり、笑われようが、一人であろうと諦めないでねと別れた。 この麦畑の風景を見ているだけでも問題も答えも見えては来るが、世の風潮はそうじゃない。一人でもやるしかない。

SAGA アリーナ

SAGアリーナ>
昔、電車の窓から目に入ったのはダンス教室の美人の先生ではなく、埼玉の巨大なアリーナであった。アリーナという言葉さえ初耳のころ。現在では各県に1つという勢いである。☆バルーナーズを時々見に行く。音響、照明、座席、トイレ、入場スムーズと申し分ない。佐賀の空間とは思えない極めて特殊な佐賀の空間であるという思いは消えない。田んぼ、干潟という佐賀の風土とのズレでもある。県民や地元風土と溶け合うような存在となってくればいいものだが、祭りが去った後からが本番かも知れない。踊らされるまでもなくスポーツに留まらぬ広い県民の視野にかかっている。

 

雨の片田江

<片田江 水ケ江>
雨が降る日が増えてきた。その度に暖かくなるようだ。
大崎と戸上電機を結ぶ南北に走る道路と東西に走る34号線がクロスする交差点を普通、片田江と呼ぶ。かつては4方向の四角の歩道橋が架かっていたが、平成11年1999年(平成11年1月)に景観上の観点から撤去されすきっりと元の状態に戻ったけれど、当時のなつかしさ以上に古臭くさびれた街に見える。ただ雨が降ると灰色の街、どこか憎めない味がある。
☆そうか!ここは片田江であり城下の”水ケ江”なのである。

 

西洋美術館-2

<西洋美術館>
Rodinアダム1881年
地獄門の左にアダム、右にエヴァ
誰でも自由に見れる。特に海外の観光客が喜んでる様子。
彫刻というが塑像と言うべきだろう。粘土で作ったものがブロンズとなって
粘土以上の迫力を見せる。自然なものが醸し出す美しさや迫力へと限りなく
近づこうとする人間の欲とい業が希望という言葉に凌駕されていく瞬間でもある。

西洋美術館

<西洋美術館>
☆上京した時、一度は上野の西洋美術館へ行っているようだ。表の広場に置いてあるロダンブールデルの彫刻作品をスケッチする。☆館内で絵画作品を見ることもあるが、鑑賞者を見張ったような女性監視員の視線、態度が世界的に見てもズレてるし旧態依然に映るし、鑑賞側からすれば障害物にもなる。作品管理上の観点からではあろうが、最も大切な鑑賞者がいかに楽しく絵を見られるかという視点が抜けてると思う。☆いつも晴れの日ばかりである。一度ぐらいは雨に濡れる彫刻群を描いてみたいものである。※スケッチはRodinのアダム

角野隼斗その3

<角野隼斗その3>
翔平さんも結婚したそうで、幸せに打ちまくってください。
昔々、奥さんのピアノで目覚めたいと言ってた某作家さん、ピアニストと結婚。今も奥さんのピアノ聞いてるのかな。

コンサートその2

<角野隼斗コンサート その2>
何かをやりだすと、周辺の諸々のことなど消えるが、どこかでは全然別の次元のことを思い出したり、先を急いだりしている。夢ではないのに夢のように時間がぐるぐると過ぎる。窓ガラスに体当たりするアブやハエも見なくなった。