服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

tomatotiger8.sakura.ne.jp

夕陽の値段

「西岡一義個展」を見る。  田んぼの菜の花、桜、木々の風景に今回はサギや鳩が登場していた。 残雪の稲こ積みとひこばえのある風景(80号変形)は見事だった。 刈り取られ、放置されても尚、草花同様に生きているような藁。 雪は白く、藁は美しく、作者の焦点がビタッと合った作品におもえた。  


「ファンタスティックな野郎たち展」を除く。 M子さんが番をされていた。お客さんの出足もよくなってきた。  


詫間の漁港で夕陽に向かった。 満潮とあって、すでに船は帰り、トラックも漁師の姿もない。 太陽から目をそらし逆光の漁船を正面から捉える。 再び太陽に目をやると、雲仙のすそに真っ赤になって沈むところ。 似たようで毎回、刻々と異なる。 100万ドルの夜景とか言うが、100万ドルではポロック(1億4千万ドル<163億円>)、クリムトのそばにも及ばない。 気にも留めずに、何となく見てもかまわない夕陽。 タダなのである。ポロッククリムトも及ばない、越えきれない。 松坂の50億など驚くことではない。 自然はお金を取らない。 地球が破壊された後でも日は上り沈むだろう。 永遠のそこへ向かおうとするのはゴッホポロッククリムト同じだったのである。 


日が沈んでも、耕したり、ネギの機嫌をうかがったり、藁を積んだりしている人たち。おばあさん、おじいさんが多い。 立ち姿にミレーの絵が重なる。 日本人が戦後最初に目にしたのはミレーの一連の農作業の絵ではないのか。 種をまき、作物を収穫する姿が、国の政策とは別に、自らを重ね、農業、貯蓄と走り続けたのだろう。 ゴッホもミレーの「種まく人」の白黒写真を見て真似たようだが、ボクの子供のころはカラープリントの「種まく人」がよく生活空間に貼ってあった。