服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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ぬめる潟

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雨の田んぼに行って、川を見ていた。潮が引き川がだんだん狭く細くなっていく。浮かぶシギの群れが影になって動く。飛び立てば水面と中空に影が隔たる。アオサギが小魚を捕らえた。ぬめる干潟の露出はきれいだ。水面のカモの視線になればぬめりの泥砂漠二見えるだろう。潟の絵を描く人は過去にも今も多いけど、傍観的であり、湿度ぬめりがいっさいない。確かにむづかしいのだ。梅雨時のじっとりと菌糸が増殖し露に濡れる、局部と全体のように。潟のぬめりは油で磨かれた黒金(くろがね)の機関車だ。手入れの行き届いた戦前の自転車でもある。潟のい黒い色は無尽蔵だ。型の輝きをもつ陶器も見た事無い。潟のイメージがどうも干からびたものであるかの不毛せいを拡大しているようだ。あのパウダーせいのぬめりと色の使い道もあろうに。キャビアアイス。ガン漬けの潟煮込み。潟鍋。水彩も、行き着くところ雪舟の山水墨画みたいになるのか・・とおもいつくも、それはない。風景の人間感、哲学は共通するも、山水画は究極の描写へとは踏み込まない。田んぼの中にあって、田んぼの大地とも違うぬめりの潟が毎日出現しているのを土地の人も気付いていない。陽が落ちるぎりぎりごろがおぞましく美しい。