服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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特撮少年の頃

<特撮少年の頃>
ゴジラー1.0(マイナスワン)が米ハリウッドの第96回アカデミー賞で視覚効果賞に輝いた。山崎貴監督率いるVFXの白組スタッフはわずか35人である。ハリウッドのマネではなく円谷プロ時代の手作りの面白さを踏襲しながらVFXへと開花している。日本人としては大変うれしい。ボクも6年生の時に憧れの円谷英二監督になったつもりで突然、猫の額ほどの裏庭で特撮をした。ジュースの缶をタンクやビルに見立て、道路は石膏で白く遠近感を出し、池や川を作り、手製の飛行機を糸で吊るしプラモデルの戦車を配置し、カンナくずに火をつけ、「よーいスタート」いよいよゴジラ登場。あのあたりにこのくらいの大きさでゴジラが出現、無い知恵を絞り、空想だけは膨らんだ中学生になる前の春休みだった。同年のS・スピルバーグもJ・ルーカスも特撮少年だった。彼らへのオマージュとして山崎監督も「ジョーズ」や「スターウオーズ」を醸し出していた。
 ※小さなおもちゃのようなカメラで撮ったのではないかな?何が何だかわからない出来ではあるが、1枚でも写真が残っているというのは最高にうれしい。上は「記憶の風景」のゴジラ。下は6年史の時の「ゴジラ」の特撮。

記憶の風景より「ゴジラ」1985年

小学6年生(1959年)の頃の特撮・ゴジラ

 

佐賀城下南堀端

佐賀県立美術館では色んな展覧会が花盛りであるが、帰りに天気はイイし美術館の裏の南堀を見たくなった。一面、枯れ蓮のお堀にどんこ舟が係留してあった。
一時はカメが増え蓮が全滅するという事態もあったが、地域の人たちによって蓮は再生され、どんこ舟が浮ぶようになった。釣り糸を垂れる人たちの姿もあっていいのだが、現実的には色んな面で難しいのは判る。!大昔にはここで鮒釣りをする人やレンコン掘りをする人たちの姿があった。今は春の一歩手前、桜が咲くころには蓮も芽を吹くだろう。折角の自然!自然と人々がどれだけ仲良くうまくやっていけるかであろう。

 

東北大震災  その3

<東北大震災 その3>
陸図ん高田市。市役所が解体されてた。米沢商会さんのビルは震災を忘れないためにも残されるようである。戦争、自然災害でそこにあった街が無残猪破壊され焼け野原と化す。自然は自力で再生しようと時間を惜しまないが、人々の心を現実へと取り戻すには容易でない。

 

 その3その

東北大震災 その2

<東北大震災 その2>
福島からバスで仙台へ入る。2月の真冬である。途中吹雪でバスも困難を極めた。
12年前のことだが、どこに止まったかなど思い出せない。やはりなんでも、特にどうでもいいことを絵に描いておくべきのようだ。港町ブルースでおなじみのリアス式海岸気仙沼。元の街の姿を知らなくても気仙沼港はめちゃくちゃである。

東北大震災 その1

<東北大震災 その1>
 あれから14年が経つ。2011年3月11日午後2時4646分ごろ地震が起きる。テレビでは津波のシーンが次々と入ってくる。夢か幻にしか見えない映像に頭が混乱する。確実に時は過ぎ、その2年後に被災地を訪れた。気仙沼から陸前高田をタクシーで半日案内してもらった。2年経ったとは言えまだ瓦礫の除去作業が続き、テレビニューズ見ていたものと同じであるが、ただ、そこには街がない。礎石に住居の痕跡が残るぐらいだ。元々の原野か荒野を見ているようなものでした。自然とは?災害とは?平穏であることとは?時間とは?命とは?などが走馬灯のように回るだけ。「被災地としては外から来られる人があることはうれしいことです。遠慮せずに来てください。」とタクシーの運転手さん。それぞれの場所に産地直売所や屋台村などでき始めていた。☆今年は新年に能登半島大震災・・?!
※当時のスケッチを見ていた頂きたく、
また下記のURLは当時の旅の記録です。
(それぞれのタイトルをクリックする全て見られるはずです)
いわき市立美術館はすでに頑張ってた!
市民の写真展や60年代の現代美術コレクション展を挙行

草間彌生作品

川原温作品

荒川修作作品

市民展覧会