支持体(画用紙)の表面を現実、その前後に過去と未来が交錯するというのがボクの考え方。浪人のころ、文学小説や映画を見ているうちにそうなった。海外放浪をして益々そうなったようだが、それでよかったのか、どうなのかはわからない。
具象、抽象に限らず映画、音楽にもそんな直感が作用する。
誰もが持つ自分なりの哲学というものだろうが。
その画用紙の空間でどれだけ遊べたかということになる。遊んでへとへとにもなれば、スカッとする時もたまにあるよう。
描いて出て来たものも大事だろうが、大事に到達する前がもっと大事で問題がありそうな日常だなどと、今更ながらに考えるなんて・・。
絵は「仁比山」と「無限のセミ」。