服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

tomatotiger8.sakura.ne.jp

現代中国の美術展

イメージ 1
「マドンナたちのフィリッピン展」を見てから、 本命の「現代中国の美術展」を見る。今日が最終日。あぶないところであった。 中国最大規模の公募美術展。受賞作597点から厳選された中国画、油彩、水彩、版画、漆絵、年画、連環画、漫画の作品95点の展開。 世界のアートシーンでも中国絵画が高値を呼びブームになっていると言う。その予備軍と言うところであろうか。世界指向の作品から伝統的な自然主義的花鳥風月まで、驚くには足りぬが技術力は高水準である。 ロン・ジュンの「モナリザ 微笑のデザイン」は、少女を克明に描いたハイパーリアリズム具象画はスーパーリアリズムでもなければ、ワイエスでもないリアリズムがあった。筆致や筆跡が完全に排除されてるところは無機質なスーパーリアリズムに通じるが、有機的に作用し、質感の追求はワイエス的であるのに絵画的にあらず。それでいて写真でもなく、それに触れる概念が見あたらない。 だから、へーっと感心するも、おもしろがるも、あるいはどうでもイイと素通りもあろう。ポスト「モナリザ」はないとおもうが、ここまでやるとは、感心するよりボクはイイ意味で笑った。 幼児や歳時記を題材にした「年画、連環画」といわれるイラスト群は日本の戦前の少女雑誌のようでもあり中国版・横尾忠則と言ったところで、これも、破廉恥に俗っぽくおもしろい。ただ一点あった。コミックの絵。日本の漫画の主人公がぎっしり書き込まれていた。フラット アートがすでに存在している。 多くが上海で活動している画家たちである。一攫千金を夢見てそれでも流されず底力を見せつけていた。 アートマーケットとしては日本(東京)は上海に先を越されていくようだ。 早く、世界参入の方式を持った画家なり画商なりが現れないと、まずは相手にされず、現状維持がつづくだけ。 好き勝手に描いてればよかったボクラの時代。が、それでは戦えないと言うのがようやく解りだしてきている。美術学校でもそこまで教えない、教えきれない。 マーケット参入の目を持った、視点の学問も必要だろう。本来、描けばイイだけで、お金が動いたり、美術史ができたり、していないのである。 新たな評論家、キュレーターの出現の時代でもあろう。  夜、日曜も出勤していたもうひとりの娘N子が合流。 体調を壊していると言う割には、元気。しかし、・・。