服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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高橋孝さん

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昼、出迎えてくれたK高さんと、空港のとんかつ屋で呑む。生2杯で饒舌になってしもうた。しかし、1時間あまりの談笑後、再び別れなければならない。改札口で見えなくなるまで手を振って、ボクらは京急に乗り込み神奈川の秦野へ向かった。2回乗り継ぎ、2時間くらいで田園風景のある秦野に着いた。中規模のボクの住む街のようだ。駅前のホテルに入る。部屋から「富士山がは見える」と聞いていたが、近くの山しか見えない。5時30分開演なので、ゆっくりしてる時間もなくタクシーを飛ばす。郊外の秦野市文化会館で降りると人の群れが会館の入り口へと流れていた。S子さんが急きょ予約したチケットを事務所で受け取り、入場する。はしっこだが前の方だ。ほぼ満員である。例の如く「シクラメンのかおり」からはじまった。「小椋佳コンサート」。テレビのあまりでない小椋さんの実像はイメージとはガラリと違う。事前に館内放送で決まり事である諸注意が告げられるのであるが、小椋さんは、「写真も、携帯もおしゃべりも、食事もOK、気楽な音楽会にしましょう」と意外なことを本気で言い出すのであった。小椋さんも管理規制の世の中にうんざりしている人のようで共感する。それでも、歌ともなれば、中年男女の観客はおりこうさんに聴き入ってしまうのであった。規制などなくも、マナーもあれば、趣味の範囲は許されるってことだ。間合いのお話がまた、さりげなく深く、若い頃はロン毛のヒッピーや破天荒の一人で旅をしたりと、少年時代を含めても相当のワル、あぶない人のようである。銀行マンというレッテル、イメージは見せかけであったようだ。S子さんの今回の目的は小椋さんが今、次世代の歌手として着目、応援し演奏会を共にしている高橋孝さんであった。若き(31歳)津軽三味線と民謡の名手であり、作詞をしたり、小椋さんの歌も歌う。民謡でも詩吟でもない微妙な喉の響きがを羊水からの鼓動のようにも聞こえる。その高橋さんとコンサート終了後、お客が帰ったロビーで10分ほど談笑する機会がもてた。歌もCDより生がよく、目の前の高橋さんも年齢以上の好青年であった。職員の「もう、館を閉めますので」に追われるように別れたのであったが、CDと録画で見ていた高橋さんと今、繋がった。駅前の居酒屋でS子さんと呑んだのだが、ボクもファンになっていくようだった。