服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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風景のズレ

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佐賀の風景も変わっていく。旧街道沿いの長屋跡地からは判りようもないのだが、市街中心部のビルの上から東方を臨むと、新緑のセントラルパークから見るNYのようだ。田舎と思っている場所も都会的な風景にじわじわと変わっているのだ。ビルの多くはマンションと思われるが、木々とビルとが混然と融合している。ビルで埋め尽くさず、近代建築と森と公園の街になれば素敵だ。田舎の風景を田舎にで探しても最早ないに等しい。ただ、その変化に住む人々がついていけてるかどうかであろう。合併でこじれるのが農地の市街地調整区域問題でもある。「高いところから失礼します」と言う作法があるが、すでに人々は高みに住み見下ろす風景を手に入れていたのである。旧市街にへばりついていたのでは判らない。このズレが市民感情にも無縁ではなさそうなのだが・・。


 近代アートでもセザンヌゴッホの「風景」は、後にしか認められず、現代の先端アートも風景そのものではないが、国内では認められないまま、海外で新しいアートとして産声を上げている。先端にあるものもスタイルは変わっても感情よりも風景の線上にある。しかし、美術における新旧のズレは教育にあり、教育をヨシとしている側にある。