服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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山崎正之のアート展Ⅱ

イメージ 1
イメージ 2山崎正之のアート展」佐賀県立美術館
赤ニス(オークニス)を多用したセピア調の大作品が一堂に並ぶ。
鈍いメタリック感が展示空間を制圧する。
作品は、コラージュ、コンバイン、コピーらを駆使した重層であり、物体としても捉えられる。
ここ10年ぐらい取り組んでいる「漏斗(じょうご)谷村・・」シリーズは深い情念の集積、時間という歴史の構築であろうが、怨念と置き換えても許されるであろう。
福岡と佐賀の県境の三角州が大詫間であり、そこに保存される葦葺で馬小屋もある推定100年以上の山口家住宅のことである。
屋根の排水様式が漏斗の形であることから「漏斗造り」と呼ばれる家である。
作者の背景にはその漏斗谷村があるが、決して横溝小説の世界ではない。
作者の精神が風説に耐えしのぶ漏斗谷とかさなるのであろう。
そこの写真コピーが幾重にも張り付けられ、刻まれ、木材、金属がコラージュされオークニスでベールがかけられる。
漏斗谷村へのオマージュでもあり、作者にとっては起つ位置でもあるのだろう。
推測は止めにしてと、意味を見出さなくても絵画としての強さ美しさが備えられており、十分にアートなのである。
描くことだけではままならぬ現状をコラージュする中で、より具体的な手ごたえが感じられるにちがいない。
それは、従前の方法論ではない。作者の失望の中に見えてきた脱出装置である。
それらが上手く交錯、作用すれば、絵画として成立し、迫力という感情がうまれるのである。
極新作はボッティチェリの 「ヴィーナスの誕生」と「春」を原寸大コピーしたコラージュ作品で、漏斗谷村シリーズとはがらりと変化して、おどろおどろしさが消滅している。
漏斗谷村シリーズに既にあった一部の手法を取り出し拡大している。
大小さまざまな「ヴィーナスの誕生」と「春」のカラーコピーをコラージュし、マスキングテープで覆うというもので、テープからぼんやりと透けて見える部分とコピーそのままの部分とが心地よい諧調を醸し出している。
コピーとマスキングテープとのコラージュであり、作者の直筆はないものの、上手く成立さしているだけに新たな表現である。都会的センスなのである。ボッティチェリを借りて発展していければというところであろう。
60年代後半からの現代美術に翻弄され揺れながら、絵画をも自分をも見失う事もあったろう。
しかし、自分には「絵画がある」と起ち上がるときからが、本物なのかも知れない。そこから生まれたご当地では非常に異質な自分の世界をもった作家である。
遅いとも言えるが、50代60代は鼻たれ小僧とも言うし。
六本木クロッシング2010 芸術は可能か?」と並ぶ現代の感性が充満し刺激的なこの春最高の「山崎正之アート展」であった。