イラン映画の名作マジッド・マジディ監督の1997年制作「運動靴と赤い金魚」をBSでやってたので見る。 何度見ても心あたたまる。 靴が買えなく、アリ少年と妹はアリの靴を共有している。 アリ少年は地区の少年マラソン大会に3等賞の運動靴欲しさに先生に懇願し出場させてもらうことになる。 足が速けりゃ3等は簡単。3番目にゴールすればイイのだが、頭一つの接戦となりゴールになだれこむ。 抱きかかえられ、少年・アリは「3等ですか?」と聞くが、「1等だよ」の返事にガックリと涙が止まらない。 そこで思いだすのが、シリトーの「長距離ランナーの孤独」である。 感化院の少年はクロスカントリーで一等を目前にゴール寸前で立ち止る。院長や教官への反逆であった。他人の名誉欲を打ち砕くのであった。 さて、帰ってきた兄アリが何も手にしていないのを見て、妹は黙ってその場を立ち去る。アリは借家の中庭の荒い場に座り豆だらけの足を浸す。 揺れる水面にキラキラと太陽が輝き、水中では沢山の金魚がアリの足を癒すかのようにつつく。そこでエンド。暗転し白いクレジットが流れる。 しかし、荒い場のシーンのちょっと前に買い物をして自転車で帰る父親が映るのだが、その荷台の箱の隙間から白い運動靴と赤い靴が覗くのであった。 金魚だけで終わるには、美し過ぎる。それでもよかったが、父親の荷台の靴に観客はほっとし、そうであって」欲しいと・・。山田洋次監督のようでもある。戦後生れのボクとしても貧しさゆえの○×▽はよくわかる。 全世界で絶賛、共感されている。 ボクらのころも裸足や下駄で登校する人もいた。 時代背景がどうこうでもなく、やさしさ、欲の”質”の関係である。 こんな少年を首相や大臣にすればイイとおもうが、このアリ少年も明日はどうなるかわからない。そこだけを切り取った映画である。それも優れた映画である。デ・シーカ監督の「自転車泥棒」もそんなきびしい父と子。 |