服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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舟一朝 3.11展を見て

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漁港から神埼のアートエルに向かう。
「舟一朝 3.11」が開催中である。
画廊隣の能楽堂から謡曲が聞こえて来るので、窓からのぞいたら、
御主人がお稽古をされてた。
そして、画廊へ。
舟さんが女性のお客さんに絵の説明をされてた。
1メートル四方の木綿に描かれた顔・5,60点がランダムに壁に貼り付けられている。
怒ったような笑ったような泣いてるようなさびしそうなと、いろんな表情の人の顔が木綿の布にアクリルと顔彩で描かれ、布は布として薄っつぺらに展示してある。
いろんな素材を使う舟さんスタイルの方式でもある。
自然(あるいは環境)と人間が長年の舟さんのテーマではあると思う。
自然の中から生れたた自然な素材を使って、再び自然のなかに置き、行きつくところは、自然へ返そうとする思想である。
自然回帰や諸行無常ではなく森羅万象というところか。
先の3.11大震災では、世界中の人たちも、驚愕と畏敬の海に放り込まれたのではないか。「表現」ということが、ひ弱に、根こそぎ崩れ去っていくような心境なり不安をおぼえたものだ。
舟さんもどうしていいのか、判らない状態から、とにかく描き続けたらしい。40日間の心の動き、記録、日記として、自分自身を我鬼のような顔として、自身への問いかけでもあるのだろう。
早いもので青年の舟さんも71歳。「舟一朝は何者ぞ」と。
多久聖廟の古い屋根の払い下げの銅版に描かれた色彩の抽象作品も見逃せない。抽象作品なのだが、キリストを抱くマリアの絵に見えてしまう。
前の個展で見た韓国の「石積み」にもキリスト、あるいはマリアの姿見えた。舟さんもボクもキリスト教徒ではない。
2001年のテロ9.11の状況下では、スイスの村でオレンジの布のインスタレーションをされている。その写真が展示された。
この際ばらすと、そこの辺りはボクも9.11以後Dragonganが登場し、震災後には一点の作品をより複雑に40日間取り組んだ。
答はないが、幸いにも空いた穴が埋まるものならと向かえる場所はあった。
場所はあっても、まだ向かえない人もいるだろうし・・。
いかに個人的であるかが判る。しかし、やってる限り、そこに他との接点なり、触れ合いが生じるものと信じている。
お稽古を終えて能楽師の小池さんが来られて、お能や伝統文化と現代美術の話へとイイ時間であった。
文化が根付かないと心も町(街)もさびしくなる。