服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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モローとルオー

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新橋から汐留の海の方に歩く、新しい超高層ビルが林立する文化区域のようで、駅周辺のような人の混雑はなく、電通ビルの「四季劇場」があれば汐留のパナソニックビル4Fに汐留ミュージアムがあるなど、空間に幅がある近未来の街となるのだろう。
汐留ミュージアムでは本日より「モローとルオー」展がはじまる。
ルオー美術館として開館し10周年の記念展である。
ルオーに師であるモローを持ってきたところが興味であるが、モローのすごさ偉大さが浮き彫りになっている。
モローはアートスクールのルオーの才能を見抜き未来をルオーに託していたのであり、モロー亡き後はルオーがモロー美術館の館長として美術館を守るのであった。
ルオーと言えば、太く黒い線で囲むステンドグラスのような絵であるが、モローのアートスクールに通っていたころのルオーはモロー譲りのデッサンを効かした写実的な絵を描いており、これだけでも必見。
モローはルオーが食べていけるようにと、コンクールのパリ賞、ローマ賞をとり、認められることを望むのだが、最高で二等賞、一位になることはなく、審査にも疑問を持って断念。生活は苦しかったらしい。
「モローとルオー」では美術館の壁が新たに赤、青、緑、白に作り変えてある。普通では考えられないが、作品と壁が一体化しているように違和感もなく、思い切ったことをやる美術館である。
アカデミックな考えに対し、下描きをせず直接着色し、薄暗い画面の中にもあらゆる色彩が使われ、光をも印象派とも異なり物質的に顔料そのもので表そうとする方式をモローは、ルオーやマチスに託すのであった。
神話を題材にしているものの「パルクと死の天使」や一連の「習作」に見られるのは抽象表現主的な筆致である。ルオーであり、ポロックである。
ルオーの絵がルオーになっていく苦渋の過程も少なからず見えている。
モローの願いはルオーに留まらず抽象表現主義となっても今日に受け継がれたようである。
そうであれ何よりもモローの作品は神秘的、魅惑的を超えて現代的なのである。
ルオーの描くキリストはモローだろうが、ピエロはルオー?
二つを相持つのが人間でもある。