服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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野村昭嘉展

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野村昭嘉展は、もう何度も見ているが、色あせず新鮮な気持ちになれる。
野村さんは東京のアパートに住んでいたところ、工事用のクレーンがアパートに倒れてきて、26歳で亡くなった。
佐賀北高では生物部に属しており、美大を目指し絵を描き始めたのは卒業してからだろう。わずか8年の間にあれだけのたくさんの絵を描いている。
当時予備校で一緒だった西原理恵子さんは、以前佐賀に来たとき、田んぼの土を見て「そうか!」とうなずけたらしい。
「野村くんは絵を描くより土(下地剤)をこねている方が長かったようで・・また、描き始めると私たちは手を止めて野村君の後ろから見ていました」と。
野村さんの絵肌は自身が研究、開発した下地であり、実際の漆喰(フレスコ)のよに美しい。たまに建築現場などで見る左官さんが塗った漆喰の壁である。その上に薄く絵の具を重ねていくというものである。
また、地(タブロー)と絵の具(顔料)とが競合すのではなく、五分五分のバランスで融合している。絵柄とは別に古代のなつかしさを覚えるのは、そこでの地と絵の具との寄り添い方にある。
それを早くも実践し知っていたのである。
寡黙であったらしい。あの時代にあって、焦らず、流されず、信じる世界を図面にし、ひたすらこつこつと描いていたであろうことは見えてくる。
空に雲があり不思議な物体がある「雲製造機」。
宮崎駿さんの先を行っているようでもある。
大小のパイプが組み合わさり、一つの機械やコンビナートのような装置が現れているのであるが、現代ではない。遠いどこかである。
野村さんは諸富の田んぼの中の家で育ち、彼の2階の部屋からは見渡す限り田んぼが見えているのである。
東京のアパートでは窓を開けることもなかったろう。
野村さんがどんな本を読んでいたのか、どんな映画を見ていたのかも興味あるところである。
古い白黒映画の”メトロポリス”を思い出した。
1964年生まれであるから生きていれば50歳ということになる。