服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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「チームラボと佐賀を巡る」映像展

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”チームラボと佐賀を巡る”(佐賀県立美術館など4会場にて)
県外いる娘から何で知ったか、上記の展覧会「面白そう、見たい」と連絡が入った、ので出向いた。
CG等を駆使した映像が美術館の部屋一杯にほとばしり、おもしろくはあった。
かといって真新しさはない。今までにもいくらでも見てきた。
というよりは、ADやCM的感覚では規模は小さいにしても、日常に結構登場している。
大掛かりなところでは、東京駅や、佐賀城本丸の外壁にも映し出すとか、
地域のイベントには引っ張りだこだろう。
ある意味誰でもできる代物、Toolでもあろう。
スパートフォンで撮ったものを個人で楽しめると言う日も遠くはない。
アートと言えばアートなんだろうけど、まだToolの感がある。
絵画と同じようなことをしていてもドキュメントとして終わる。
だけに、表現者がどの地平に向かって立つかがその境目であろう。
最近、誰もが見たソチ冬季五輪のオープニングセレモニーのときの映像が最先端、最大規模のCGアートではあろう。
五輪のTOPスポンサーであるパナソニックは大小の最先端AV機器を大量納入したとある。
過去にはナムジュンパイクの大量連結モニター映像もあれば、ウォーホルなどの反復、複製の表現もあったが、映像表現は電光石火の勢い。
機材の進歩に人がついていけなかったり、の関係のようだ。
都会の美術館などでも絵画展があってるそばで、必ずといっていいほど映像表現の展覧会を同時進行させている。
娯楽的であるか、ハートに沈魂の傷を負ってしまうかである。
どこまでも止まらない映像世界にはちがいなく、今日あったものが明日には過去のもとなる、何が出てくるか判らない可能性とスピードはミレニアム世代には魅力なのであろう。
早くおもちゃか、ペットみたいになってしまえばイイのであって、そこからアートという概念さえ変わり得る哲学をDNAとする細胞化が起こるのか、否かは誰にも判るまい。