家の土台となる基礎のコンクリートでも見えなければ、
普通にだだっ広い枯野がある・・にしか見えない。
それらのすべてに町があり村があったのである。
古代を読み解くでもなく、想像力も及ばない。
震災2年後の2013年2月に被災地を訪れた。
人々も「私が被災者です」という顔など一つもなかった。
見えてるのに見えない。
見えてるのに見えない。
見えない部分が少しでも見えて来る時、言いようのない
絶望的恐怖を感じるのであるが・・。
ドキュメンタリー風なその後の映画を2つ見た。
一つは陸前高田で山から杉を伐り出して元の場所に家を建て直そう孤軍奮闘する老人(佐藤直志)が主人公の
「先祖になる」2012年制作、監督;池谷薫、出演;佐藤直志。
もう一つは堤幸彦監督が生島勇輝、生島翔兄弟(父は気仙沼出身のニュースキャスターの生島さん)を登場させたドキュメンタリードラマ「Kesennuma,Voices」の第3弾「Kesennuma,Voices3」2013年制作。
アニミズム的精神を持つ老人は奥さんに愛想を尽かされても
先祖から受け継いだ土地で生きて行くと家を建てる。
「OFFの時はここに来ている」と謙さんは、厨房で食事を作ったり、
お客に頼まれれば一緒に写真におさまったりと、特別なことはなく極普通にである。
遅くはない。正面から普通にもう一度、さらにもう一度と被災地を訪れていきたいものだ。