服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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陸前高田、気仙沼から石巻へ

気仙沼から石巻

 

2013年2月26日

陸前高田市

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陸前高田行きのバスは1時間後であり、時間が惜しくタクシーに乗る。
これがよかった。
いくつかのトンネルを抜け「ここからが岩手です・・」と運転手さんは語り出す。
いろんな意味でこちらの気持ちを察するような気配りと震災を通しての気持ちの変化などを散りばめガイドしてくれるのであった。
美しいリアス式海岸の村や町が壊滅している。南無阿弥陀仏
「ここが高田です・・」と何もない荒野に停まった時には唖然とし言葉もなかった。
美しい湾を前に広大な高田市があったのだろうが、人も駅舎も病院も図書館、博物館、市民会館、警察署、幼稚園、小中高学校、ショッピングモール、コンビニ、飲み屋、レストランもなにもかもが消えている。海面がそのまま陸につながったような平地である。
テレビで見聞きしたのは何なのだろう?だから「私たちも今はみなさんに見に来て欲しいんです・・」と。

 

2013年2月月26日

<ホーボー Hobo>

リュック背負って、気仙沼駅へ向かう。ショベルカーが働く気仙沼港、まだ雪が残る破壊された商店街を歩く。若い人たちの姿は少なく、高齢者が日常の往来を繰り返している。海抜があがると被害を免れた商店街が長く存在し、にぎやかな街であったことは明らか…

 

 2013年2月26日

三陸海岸 石巻へ>

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後ろ髪引かれ石巻へ向かう。
気仙沼線が不通で気仙沼線BRS(鉄道バス)にて柳津までで行くことになる。
「2時間はかかりますから」と駅員さん。10時50分発。乗車客はボク一人。貸切だ。
部分的に線路が舗装道路になっており、そこをバスが高速で走っていく。
電車のように踏み切りも降りる。
海岸線を南下して行く。
大小の漁港という漁港が壊滅している。更地なのだ。想像を絶する。
破壊された住居やビルでも残っていなければ、被災地とは気づかないくらい冬枯れの風景とマッチしていたりする。
「復興?復興??・・」。
報道されていない大小の地域がいくらでもあるようだ。
鉄道線路もずたずたに寸断されてる。無残。無残。南無阿弥陀仏