服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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日和が丘から石巻を見る

日和が丘神社から見た石巻2013年2月

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2013年2月27日

<日和が丘から石巻を見る>

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写真上:震災前 写真下:震災後

 

路地から路地をGPSを頼りに30分ぐらい歩くと気仙沼市立女子高校に来た。その隣が”日和が丘”という公園である。
あの日、人々が避難していた場所でもあり、270度の俯瞰パノラマである。
今はただ、惨状のパノラマを見るばかりである。
木々の間から黄土と化した南浜地区の惨憺たる状態が姿を現し、もっと上に上がると、南浜地区から旧北上川の両岸の漁港、北側の石ノ森章太郎漫画館までの大規模な悲惨な姿を目の当たりとなる。
高台の柵には、そこから見える震災前の美しい風景の写真が飾ってあり、比較して見ることができるが、その変貌はむごい。
石巻の映像のほとんどがここから撮られたものであるということも判った。

 

2013年2月27日

<南浜>

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南無阿弥陀仏」をつぶやきながら丘を下った。
新しく立て直された墓地を通り南浜地区に降り立った。
海面がそのまま陸地になったようなところだ。
瓦礫のほとんど片付けられており、道路だけが地図のように走り、街の大きさが伺える。ススキと雑草の黄土の荒野にお寺と石巻市立病院が姿をとどめ、なおのこと無惨である。
振り向くと丘の斜面に背中を合わせるように痛々しい姿で形をとどめている門脇小学校もまだそのままである。壁となり耐えに耐えて日和が丘を守ったようにも見える。
「門小ガッツ僕らは負けない」と校舎に貼り付けられている看板に胸が熱くなる。

 

2013年2月27日

<何のために>

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小学校の前の通りに家の土台とフローリングが残っており、その上に誰が置いたのか壊れた子供の三輪車が置いてある。
宮城ナンバーの軽乗用車がやって来て小学校の前に停まった。
車から降りた若者はしばらく小学校と対峙してから写真を撮って戻っていった。
今度はバスが来た。20人ぐらいの若者がしばらくガイドの説明を聞いたり、小学校の写真を撮ったりして引き上げていった。
ボクもきびすを返し墓地を通り日和丘に上がり、元来た道を戻るのであった。

 ●なんのために!いや、一度、現場を見ておきたくてやってきた数日間。ただそれだけ。

☆2021年3月改めて11日改めてあれから10年というが。