服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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公園

<公園>人がいる公園。誰もいない公園。よく人が来ている公園。いつ来ても猫の子一匹いない公園。イベントを開きやっと人が来る公園。街の中にあってもほとんど人が利用しない公園。と様々である。
 公園は人がいてもいなくてもありがたい。人が作ったコンパクトな自然空間と言えるだろう。和風、洋風、小さいけど広場ではなく公園と呼ぶ空き地。
 それにしてもイベントでもしないと人が出て来ない公園。
Dホクニーも公園を描く。映画「欲望」では公園の茂みの中に人の手足らしきものが覗く。手足の出現は現実を妄想へと誘導する。ヒッチコックの「ハリーの災難」はクロサワさんの羅生門形式を踏襲する。ブラジルの「黒いオルフェ」はリオのカーニバルと貧民を光から影へと放り込む。
人はこれらの絵画や映画に見る戦慄を与えられたものではなく生まれながらに持っているはず。
 「欲望」のあのシーンが何かの拍子で浮上する時、あてもない迷走がはじまる。
 ご当地では公園で時間を過ごしたり、ベンチに座ってぼーっとしているなど必要ないのかもしれない。元々田んぼに囲まれ田んぼの中に棲んでいるようなモノだから。
かつて、バックパッカーしていたころモナコの高台にある公園にまぎれ込んだ。その左右対称の公園が佐賀の田んぼに見えた。下方のビーチでは大カーニバルの客席のスタンドが作られていた。
 イタリア人にとっては人が集まる公園のベンチはお金の取引をする場所でもあった。ベンチはイタリア語ではPanca(バンコ)。PancaがBANKとなり日本では庶民の縁台・バンコになったという説もある。
「森林公園F4」水彩と油彩の「ニースの公園}P100

 

ニースの公園 P100