服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

tomatotiger8.sakura.ne.jp

光山照行誕生會Ⅱ

イメージ 1
土方巽{故人)は1960年、「暗黒舞踏」という新しい表現形式を確立した。~これまでの西洋舞踊の多くが、肉体を発展的にとらえ、力のダイナミズムで踊りを構成するのに対して、土方は解体され衰弱に向かう肉体の動きに美しさを見出した。これは画期的な視点というべきもので、文学、美術、哲学、演劇、音楽など、他分野の人々にも衝撃を与えた”。(アスベスト土方巽バイオグラフィー ~より抜粋)。  演技者・光山氏が遍路鈴を鳴らし、駒送りのような歩で山門から境内に入ってくる。 どこか60年代のなつかしさがある。 眼前の高い階段上の本殿に高々と両手を広げ、ひれふし、入念な参拝の儀式(パフォーマンス)。 そして、お遍路は観客と黄色いTシャツのスタッフの前を通り、ゆっくりゆっくり広場に入場する。 遍路とスタッフが重なるTシャツの背に{光」の大ロゴが神々しい。 やがて、遍路は受胎し、赤ん坊が誕生する。 地に臥し、巨木に臥し、大気に翼のように両手を広げ、自然への感謝を表す。 スローな動きに身体の線の美しさが際だつ。肘を折り両腕を開閉する形は千手観音でもあった。 突然、ザザーッと青葉の風が吹き、見上げる木立にまたしても「お葬式」をおもう。 それから野球、剣道、エレキギター、パーカッション、それに前回の公演での  「ミッカックンチャン」の一味線などのパフォーパンスが延々と続く。 生まれてから今日までの半生の表現である。 舞踏と言うか一人芝居と言うか、土に生まれ、土に帰るまでの1時間は短かった。舞踏でもなく、一人芝居でもない「ネオ表現者?」の誕生日になった。 その間、風のざわめきがあったり、ヒグラシの合唱があったり、木の葉が舞い散るなどの日常がここでは、表現者に呼応し交信しているような神秘的雰囲気を享受するのであった。   剣道、野球の場面で表現が現実過ぎ、前後の脈絡から浮いて見えり、人間の背負う業やハン(恨)といった部分の表現が足らないと言う課題は見えたが、全体には判りやすくまとまっており好演であった。 終演後、「何故かわからないけど、泣けてきた」というご婦人がいらしたぐらいみなさん満足のようだった。 このタイプの表現が、ご当地では皆無なだけに期待し見守りたい。