服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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瑛九展Ⅰ

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羽田から北浦和へ直行すること電車で1時間20分。
北浦和駅を出ると通りの正面に森が見える。
歩いて5分。その公園の中に埼玉県立近代美術館はあった。
生誕100年記念「瑛九展」
瑛九という作家を知ったのは、当時、池田 満寿夫さんが師と仰ぐ瑛九のことを美術雑誌などに書いていたのがはじまりで、また、たまたまお会いしたNHK福岡のディレクター(故)八田昭男さんが、瑛九の番組を作っているというところから、瑛九を肴に酒が弾んだということもあった。
それでも瑛九については何も知らないに等しいが、ずっと影のように存在した。
版画家の瑛九だけでなく、その全貌が紹介されるという。
8月に出身地の宮﨑県立美術館で開催されたもので、引き続き、戦後、移り住み没した浦和での開催となっている。
水墨画、抽象画(立体派、幾何学的、点描など)版画、写真など多岐にわたる表現で掴みどころが判らなくなる。
その中でも写真のフォトグラム、フォトデッサンは自動書記方的なおもしろさがある。
マン・レイの作品かとおもう。
印画紙に直接描く光のデッサンをフォトデッサンと呼び、そこで使う道具の型紙、セロハン、ペンライトなども手製である。
戦後は銅版にニードルで直接彫り込むエッチング、アクアチンとの版画に入るわけだが、その直接表現が池田万寿夫につながるのだろう。
そして、風景や光と影を点描で描く絵画に進むのだが、一体何をしようとしたかったのか?ということはやはり判らなくなる。
激しくも、脅迫的でも、情緒的でも心象的でも幻想的でも内省的でもきれいでもない。
言葉に困るが、頭のいい人だけに観念的と言えるかもしれない。
アバンギャルドな生き方に見えて児童美術教育にも熱心な人だった。
享年48は燃え尽きるには早い。
型にはまらない自由な表現というのを大事にした人であることはよくわかる。
美術館を出ると公園の噴水が音楽に合わせ踊りだした。
子供たちがよろこんで見ている。
噴水を囲むベンチも人でいっぱい。芝生では家族やグループがお弁当を広げている。
秋とは言え、人が集まる公園の美術館である。