服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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江戸幕末ころの石の階段と護岸があらわれた。

材木町と紺屋町の間を流れるか紺屋川にかかる思案橋のたもとの家が、解体され新しい家の建設のため掘り起こされたところ、石の階段や護岸が生々しく表れた。3代に渡り護岸は埋め立てられ紺屋川幅が狭くなっている。
当時より周辺は商家が多く、土蔵が立ち並ぶ。船荷を上げていた場所であり、共同荷揚げ場の可能性もある。
住民上げて川を狭くしていったのか?できるものなら今宿から紺屋川沿いをすべて掘り返し発掘してみればおもしろくなると思ったのであります。
今朝、県による説明会があった。80人ぐらいが参集していた。
以前記憶の風景に描いて棚じを挿入した場所から石階段が出てきたのである。
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魚とり(思案橋)1989年作



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