服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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窓の概念・空間のかたち

<窓の概念・空間のかたち>
絵はどんなにだって描けるし、どんなに描いてもイイ、基本的には約束事などない。7万年前のクロマニヨン人がラスコーなどの洞窟に描いた頃と現代の人々が描きたいと思う衝動とは変わらないと思う。人の生きる環境と精神は今も尚ゆっくりと変化の道をたどっていようが、宇宙空間としてみれば、流れ星にもならないだろう。意識とはその時々のものであって、環境にしつこく作用されたとしても、描きたいという衝動に進化も後退もない。第四間氷期に洞窟で獲物を待ち漁り何万年と受け継いで来た人類。食料もなければ窓もない洞窟に、窓というフレームの概念を持ち込むことは難しくもなかったろうが、空を飛んでいる鳥を見て飛びたい、食いたい・・いやその見える空間、その形をイメージを何か写せないかと思ったとしたら・・。そこに人間のまだ欲望に到達しない衝動があるとみる。司馬遼太郎さんや、フロイトがが平面的なデーターを時空間という”かたち”に分かり易く整理しようしたし、S/キューブリック2001年宇宙の旅で猿人骨を持たし武器とするが、猿人は否定なのか?雄叫びを上げ、大空に骨を放り上げるのであった。洞窟や地面に自然空間のぼんやりした何かが描かれてしまった瞬間を子宮に到達する以前の素粒子に戻るぐらいの思い出見たとしても穴から世界を覗く蟻や赤ん坊と言わずとも明らかな出来事であったろう。
※下の絵は3枚つないだ水の都佐賀南川副です∞