服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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川本達也作品展/クォ・ヴァディス

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3・11東日本大震災から3年が経つ。南無阿弥陀仏・・。

川本達也作品展(川副佐賀田園の郷ギャラリー 2014年3月2日~5月3日まで)
大作6点をメインに9点が飾ってある。
今まで制作された作品のほんの一部分であろう。
モチーフというか、川本さんの作品にはフィルム、アゲハチョウ、ビー玉、能面、しわくちゃの紙、アンモナイト、ガラスの破片、架空の都市などが繰り返し登場する。
その中でもビー玉が多く使われている。
ビーダマの輝き、そしてビーダマの内と外、透けて見える向こう側の世界であったりと根本に球体の概念があるようだ。
時間と空間ということになるのだろう。
しかし、画面は直線や矩形で平面的に構成されることが多い。
モチーフはひとまず具象的に描写されるが、平面上に放り込まれ(配置され)限りなく平面に近い物体(立体)となって、平面に同化しようとするのである。
矛盾するようだが、それでも背後には球体の思想が隠されている。
それぞれの題材(モチーフ)を見ても当然のごとく過去、現在、未来という時空間的宇宙観がキーワードとなっている。
また、題名にしても「無常」「幽玄」「遥かなる営み」「現実と夢と」「夢幻」「生きとしいけるものの讃歌」「生きとしいけるものの哀」「クォ・ヴァテス(汝は何処へ行くのか?)」など仏教的な無常観にもみえるが、それにとどまらず、森羅万象、円環、球体の宇宙であろう。
ご実家がお寺だったといこともあろうが、作品は原色を主体にしたポップな見え方である。元来仏教美術作品にしても今日以上にカラフルでポップなものも少なくない。
ミクロとマクロ、分裂と融合の反復の構造は目には見えぬが、業として宿命として身体が持っている生命観である。
それは、感情のない空間か、平面であるのかもしれないし、平面に具象、立体の説明はなく平面の前後に生じる宇宙DNAとでもいうものが、感じ読み取るもののようで、平面+空間=無となるようだ。
ここ10年はクォ・ヴァディスシリーズをやってこられた。
キュービックな中のクリスタル都市であったり、都市の連続であったり、分裂であったり、繰り返される時代の一瞬には違いなく、汝はなにをしてきたのか?、なにをしようとしているのか?汝は何処へ行くのか?と自問自答されているのか、ボクら自身も問われている。