服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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覚悟の晩餐

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ダヴィンチの「最後の晩餐」の本物をを見たことない。ダリがリメークした「最後の晩餐」も見たことない。見ない想像もあるが、現物を見ると、がっかりする場合あるにせよ、その先の想像がもっと膨らむ。そこに、イイもの、オリジナルを見るよさがあるのだろう。日曜美術館で「質屋通いではイイものは判らない・・」とH生一郎さんが言ってた。毎夜晩餐はやってる。最後とおもってやることなどないのだが、晩酌ならそれでよし。その日ぐらしのように見えて、人間は死への覚悟をもってしているのである。それを見せるのがあらゆる芸術表現、作品ということなのだが、見過ぎると現実と芸術の区別がつかなくなり、ややこしい。たまに芸術に触れるぐらいがイイのかもね。しかし「質屋通い・・」があまりにも多い。日々覚悟をもつなど「葉隠」でもあるまいに、平和な時代にあろうこともなかろう。なのに、人々が感動しているのはそこなのである。晩餐はシンポジュームでもあった。シンポジュームでさえ復活し死に絶えた。