服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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フランシス・ベーコン

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銀座線から東西線に乗り換え毎日新聞社ビルのある「竹橋」に出る。
右手信号のさきに、国立近代美術館が見える。
橋を渡たると”フランシス・ベーコン展”の大看板が立っている。
ホテルの朝食に必ず出るベーコンとは違うが、作品はどこか朝食の脂ぎったベーコンのようでもある。
60年代の日本にも多大な影響を与えている。
似たような表現でアメリカのデ・クーニングがいるけど、根本部分で違うと思う。
ベーコンとクーニングの間にいるのが、アートグループ磁場の中尾さんである、と思ったりして。
実際に作品を見るのは初めてである。
すさまじい迫力である。
毛羽立つ綿キャンに練りこむように絵の具が塗りこめられた黒い画面に白い線が走る教皇シリーズなどは絵画通念の範疇にはない。
黒い画面にガラス額装がしてあり、鏡となり反射したり観客が映りこみ見にくいのであるが・・。
「ガラスは絵に統一感をもたらしてくれます。
ガラスによって、作品と観客の間に隔たりができるのもいいですね。
言ってみれば、私は対象をできる限り引き離したいのです。」とベーコンはいう。
口を上下にかーっと開く人体、吼えるのか噛み付くのか、しかし異様な顔面は見る側に違和感もなく同居する。
観客のまなざしは鋭くじっくりと何かを見ようとしている。
顔の表情がどなたもイイ。評論家、いや観察者の目である。
この特徴はベーコンの作品ならではのことのように思える。

いろんなジャンルの常設展も見ごたえがあった。
南米か南欧の外国人とおもえる3人が興味を引いた。
ずんぐりした赤シャツおやじ、アンソニー・パーキンスに似た痩せ型の若者、そしてキャップにジーパンの大柄な男は、背後に観客が立つと照れたように絵の前からさっと身を移すとか、何かの職人風ではあるが、推測ほどあてにならないものもない。
3人で顔摺り寄せてキャプションを読んだり、作品を見ながら意見交換をしている様が魅力的で、ボクも同じステップで見ていた。
アーティストなのか、ある工房の職人か、単に芸術愛好家なのか、判らずじまいではあったが、まれに見る外国人離れしたおかしな3人組であった。
閉館5時、警備員が鉄の門をがらがらがらと閉めた。西の空はまだ青い。