服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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吉田進一先生逝く

梅雨があけるのを暑い夏も待っている。
「芸術の秋では遅か。僕たちは夏が勝負ばい」
教職に付かれている吉田先生にとっては夏が正念場であったろう。
昨日、朝吉田先生は施設で静かに息を引き取られた、と身内の北村さんより
連絡を受けた。
9月で90歳になられるところであった。
こんな日がいつかは来ようと思ってはいたが、まさかであった。
ボクにとっても傘寿の記念展でお会いしたのが最後となった。
藝術への道のはじまりは佐賀北高の美術部であり吉田進一先生であった、。
新設北高に吉田先生が赴任されてきたのはボクが2年生の時であった。
どんな先生だろうと期待に胸を膨らませていた。
腰に手ぬぐい長靴でどかどかと美術室に来た先生は期待以上に日焼けした人のよさそうなおっちゃんであった。
ボクらは瞬時に受け入れ毎日の放課後がたのしくなっていくのであった。
いろはから手ほどきを受け、卒業時には「デッサンのデの字ぐらうにはなったかな」と言ってもらった。
春夏秋冬、海、山、河、先生宅と公私に渡りお世話になった。
絵を描く時間に勝る時間であった。
東京美術学校(芸大)時代の貧乏話はボクらを簡単触発し、デッサン、絵画へとはまっていくのであった。
この間のことのようである。
先生は先生で日展で特選、審査員とボクらをどんどん離して行かれるのであった。
足が弱られ施設に入られてからも好きな酒をたのしみ、大作を制作されていたという。90歳の個展予約までされていたという。
全身絵描きというのだろうか。
訃報の電話をした東京で画家してる同窓の矢ヶ部くんはぽつりと「絵描きの鏡だね・・・」と。
だんだんと心の奥で引いていくものがある。
先生のデスマスクも確認していないのに・・。
潟を愛し、畑を耕し、酒を愛し、人を攻めず戦国武将のようにあわてず騒がずどっしりと構える先生であるが、威張らず、ずっこけることが多かった進一先生は、
佐賀のボクらの誇りです。
先生の生き方、おおらかな思想は、根付き受け継がれていくことでしょう。
ありがとうございました。またお会いする日までさようなら。