服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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桜井孝身さん逝く

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パラダイス F6
 
 
桜井孝身さんが亡くなられていた。
Y田さんより西日本新聞の切り抜きを送ってもらい知った。
2016年2月15日に肺炎のため福岡県宗像市の病院でなくなられている。
88歳であった。
ご冥福をお祈りいたします。
大昔、桜井さんが佐賀で個展されており、嫁さんが色紙にサインをもらって来ていた。よく、ボクが(まだ会ったこともない)九州派の桜井さんの話をするもので・・。
それからボクも会うわけだが、ヒッピー、仙人という風貌とは関係なく普通に面白い人で、すぐに仲良くなって呑みにいった。
佐賀に来られた折には、江口彰さんを通じて欠かさず呑んだ。
ボクが福岡で個展した時はいろいろとアドバイスをしてくださった。
生意気な福岡の絵描きたちと喧嘩ごしに呑んで、桜井さんの家に泊まった。
朝一緒に風呂に入った。奥さんの(若い)中村順子さんがいらっしゃった。
奥さんの実家であった。
孝身さんは誰にでも「先生」を付けて呼ぶ。
孝身さんが「先生絵を交換しようよ」ということで交換した。
当時は原初的ネイティブな絵を描かれていた。
赤と黒を基調にしたパラダイスシリーズである。
東京、大阪の芸術に向けて「九州にはもっとすごか(野郎たち)がおるぞォオオオ」とばかりに菊畑茂久馬さん、オチョオサムさんらと九州派を結成。

'美術手帳"に頻繁に美術評論家はじめいろんな駆け出し九州派のはちゃめちゃを書いてた。
針生一郎さんだったか?「酔っ払いごろ寝して夜中、酔い覚ましに飲んだヤカンの水が小便だったと、奴らにやられたと」。

九州は解散後、70年にサンフランシスコのヒッピーコミューンで生活し、73年からパリにてアーティストとして、奥さんと活動。
ずっとパリかと思っていたが、2004年に帰国されていたのである。
”パラダイスの道”という自伝的本をいただいた。
佐賀と久留米の間の筑後川の中州・長門石に生まれた。
少年時代はヤギと鳩を飼っていた。そんな人であった。
もう一度会いたかったな。
孝身さん、あちらでも丁々発止と喧々諤々やってください。