服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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9月の空

空港の見える稲田にいた。ギンヤンマがいた。アオサギ、シラサギもいる。抜き足差し足とはアオサギのことか・・。しゃがんでクリークに近づき、スーッと首を伸ばすと、口ばしに小魚が・・。日がな一日、えさを探し求め、優雅な舞も決して遊びではなかろう。人間でよかったのか、シラサギであるべきだったのか、9月の空に入道雲部分的には除草剤の枯草地帯が異様に目につくのだが、水草らでクリークは浄化されているようだ。ほっ、とはするものの、自然の回復、治癒力をあたりまえとおもってはいけない。それも、もうたぶん限界ではなかろうか。濃い緑のはずが、今夏は新緑のころのように見えるのである。衰えた視力の底力ならば、ありがたい。大きな樹木は、幹の数倍にも葉をひろげている。陽光との闘いでもあるようだ。日差しが強ければ強いほど葉をひろげ、そして木陰をつくる。そうでなくば、樹木とて生きてはいけまい。地の底に根をはる形相など夢のまた夢。夏の野山を注視するほどに、9月の空も初夏になる