服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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タイゾーさん

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最終地点、武雄市立図書館に着く。一ノ瀬泰造写真展」以前にも何となく数回見てはいるものの、今回はこのために来た。写真の他に家族や友人への手紙や日記、遺品の数々が展示されており、タイゾーさんが少し見えてくるよううだった。ボクとは全くの同年である。東京でもどこかですれちがって居たかも知れない。彼がベトナムに向かった頃、ボクは北欧へ向かっっていた。同時代に殺戮の戦場と牧歌的田園なのである。せきたてられるように列島を出るのであった。イージーライダー」ワイルドでいこう。「真夜中のカウボーイ」うわさの男。「明日に向かって撃て」雨にぬれても。 3本ともストックホルムで見た。夜は皿を洗い、昼は観光客が多いガムラスタンの小路に絵を並べた。高校二年の時、「ベトナムの叫び」を描いた。どうなったのか?その作品は今はない。この歳なって、はじめて正面からタイゾーさんの戦場写真と対峙した。随分と時間がかかったものである。毎日が刺激的でエネルギッシュでそこにいることで、二つの自分が一つになれた。涙一つ流さなかったタイゾウーさんも後に、ワーわー泣きながら地獄絵のシャッターを切っていたのであった。そして、26歳であの世の人となったのである。 ”・・うまく撮れたら、東京迄持って行きます。もしうまく地雷を踏んだらサヨウナラ!今から同居している大勢の供達と写真を撮ります。アカツへ   11月18日  タイゾー” 映画のタイトルにもなった友にあてた最後の手紙(となったの)である。日記や手紙の文章もリズミカルで躍動していておいしい。しかし留まれば考えた言葉しか出てこないのである。開高さんがペンを折ったのも判るような判らないような・・リアリズムは方法論でしかないのか。画学生がピカソマチスに憧れるように、タイゾーさんも沢田さんら戦場カメラマンに憧れ、武者震いでベトナムに飛び込んだようだ。一つ一つの日記や手紙の1ぺージにちりばめられたモノは写真と同等に重い。「撮る」「描く」ことも、時に、書くことを一体となすようだ。タイゾーさん、ありがとう。