試験さぼって市川崑
そう言えば市川崑さんが2月13日に亡くなられた。(享年92)いつもタバコをくわえているところしか知らず、その姿は、最も映画監督らしかった。中高校のころに見た「鍵」「炎上」「東京オリンピック」等が印象に残る。中学の試験の期間は早く帰れる。それを幸いに「本屋へいく」と言っては映画館へ(学生帽を深々とかぶり)入ってた。そんなとき見たのが成人映画まがいの文芸作「鍵」であった。セックスシーンで風景は貨物列車の操車場へと一変。貨車と貨車の連結器が「ガチャン」とアップで映し出された。当時、貨車や車両の連結はごく日常的なこと。その音は夜の町内にまで聞こえて来た。鉄道と労働者そして黒鉄(くろがね)。鉄の時代でもあったわけで、連帯と強さの象徴でもあった。列車の車窓から貨車の連結をあこがれのようなおもいで見ていたものだ。鉄と鉄が衝撃的に出会い連結する。セックスがメタファーに鉄塊なのだが、中間試験どころか、新鮮な感覚は学校では味わえないもののようだ。ジャン・ギャバンの「地下室のメロディー」でも似たような経験をした。強盗に入るカジノの下見をするシーンで、まぶたが上下するように眼前の風景が開閉するだけのことだが、マンダムだった。それらの感覚は後に享受したシュールという思想で決着するのであったが・・。ドキュメンタリータッチの「東京オリンピック」は、政治家・一部の人たちにぼろくそに非難されるのたが、世界でKON・ICHIKAWAは賞賛されるのであった。競技場建設に向け、古いビルなどが振り子の鉄球で破壊、解体されていくところから始まった。意表を突く序章に「羅生門」のはじまりのようにぞくぞっとしたものだ。さらには、競技場のトイレやらくがきが下町のように撮られており、ここでもシュールなのであった。「映画を作ってみたい・・」というおもいがぼんやりと頭をもたげた最初のようだ。芸大に3度失敗し、社会情勢は不安定、地平も見えず、自分の居場所さえおぼろ・・絵画の道も映画界の入口さえ見えず、心境は「炎上」の青年僧のようでもあった。しかし、市川監督は挫折、行き詰まりもなきように今日まで映画を撮り続けた稀なる、一見恵まれた監督だ。脚本家で奥さんの和田夏十さんが、あげまんだったということもあろう・・。そうそう、車椅子でまだ撮り続けている新藤兼人監督(95歳)もいらっしゃたっけな。