服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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「花などのためのうつわ」展

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川本太郎さんの「花などのためのうつわ」展を旧山口亮一邸で見る。初めて見る太郎さんの花瓶。作者も花器を創ったのは初めてだとか。縁側からの光が花瓶や器を逆光に浮かび上がらせる。この二十畳ほどの座敷によく似合う。元々ここに置かれていたもののようだ。作品の器を見ているようで部屋の柱や壁、天井らを見ている。出しゃばらぬうつわたち。庭にはツツジ。花器には茶花一輪。縁側を見やり、寝ころんで花袋の「蒲団」漱石の「・・猫である」ある。花器にはコハクの水もイイ。時間を内包する家屋に抗うことはない。破棄された建設資材の鉄筋、鉄板、パイプらの断片をりようしてに小さな器たちが飾れている。ここではその錆びた断片も竹や板や材木に見えてくる。さりげない工夫も作者の感性。面影もない山口亮一翁の時間とがクロスオーバーする。壁や柱にその痕跡を探ろうとするが・・。太郎さんが上がり口の仕切り戸をぴしゃりと閉め、「このままの方がイイですね・・」。仕切られて座敷の器たちはもう見えない。仕切りの4枚の板戸には花鳥風月の絵が描かれていたようだが、今は剥離し板目がくっきり、小鳥と花しかわからないが(森報早美の名があるある)、「そう言えば・・」と同調するわけにもいかず・・。しかし、主殿は本音のようだ。個展は売るだけでなく想いをめぐらす時間でもある。そのために作品は存在し置かれている。主人を離れ物言わぬうつわたちが見ている世界もあろう。控え目なうつわたち。器展というよりはコンテンポラリーなアート感覚である。日本の焼き物の美には本来そのような要素が流れているのである。今更現代や西洋を持ちだすこともない。作者が考える新鮮さ新しさを見させてもらった気がする。