服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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「絞首刑」監督:大島渚 1968年。当時、池袋文芸地下で見たのかな。一言一句、聞き逃すまいと若い観客たちは食い入るようにスクリーンに向かっていた。判らずとも、時代感が若者の心を捉えていたように思う。今改めて見て、ばかばかしいぐらいおもしろいのに気づく。奇喜劇なのであった。さすが大島さんと言いたくなる。国家とは・・、朝鮮人の死刑囚・RはRでなくなっていく。繰り返される「R」の響きが脳裏にこびりついていて、1982年にボクが描いた鉛筆の絵の題名を「鉛筆R」にした。まだ、Rの響きがリアルティをもっていたようだ。赤鉛筆でもあったし、REDでもあるのだが・・。そして「鉛筆R」は見事、県展で審査員・針生一郎さん宇治山哲平さんにより一席となった。


国家の中でRがRを喪失し一人歩きすのは安部公房の「名刺」でもある不在性、不在の部屋なのだ。アイデンティティイが言われるころには、自己だの自分探し。しかし、アイデンティティイなど個人には無きに等しく、勝ち取り得るものでもない。まだ読んではいないけど、「1Q84」にしても同じ線上にある現在の不在性ではないのかな、とふとおもった。「絞首刑」は密室劇かとおもえば、街中でのゲリラ撮影を敢行して、退屈しない。名優揃いの会話劇である。「今日は所長、御苦労でした。よく勤めを果たしてくれました。教育部長、あなたも、保安課長、あなたも、あなたも、あなたも・・、この映画を見て下さったあなたも・・」。