服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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新年の黄美展

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イメージ 2「2010黄美展」唐人町の<アトリエ桃の蔵>
城島染物店(牛津)の唐人町支店。
店舗の2階と3階がギャラリーになっている。
外見とは異なり、古い商家かあるいは土蔵を生かした木造の内部である。
安藤さんのコンクリート打ちっぱなしの現実もあるが、これだけでもほれぼれする木造の構造物である。
唐人町にはまだそれだけの歴史を蓄積した建築物がある。
佐星醤油やさんもそうである。
拙宅の前の烏犀園さんの土蔵が解体されたのはいつだったかは、はっきりしないが数十年前のことだろう。
屋根と壁が解体されると、そこには梁と柱の骨格が重厚に露出君臨した。
クロサワであった。羅生門であった。
それは逆で、映像の弱点ひ弱さ、作り物であることの現実から逃げる方法としての映画の経済的努力であろう。
現実はかくも手抜きがないとおもった。
土蔵の骨組みがいかにそれを支える屋台骨として恐竜の背骨のごとくであるかということである。
佐賀城城本丸再建中においてその構造骨格を市民に公開されたが、従来の土蔵が瓦解崩壊するに及んではほとんど目にすることはない。
屋根、白壁の外観はよしとしても、土壁内部はかように骨格なのである。
天変地異、火事、爆破に備えての骨格を備えている。
バス、旅客機の構造にしても人命第一の安全構造ではあろうが、現実には抱擁の域ではないよう。
イメージ 2さて黄美展の作品に戻らねば・・。
正月早々、酒臭抜けぬ同窓展にしては、力作がそろっている。
小城高校、金子剛さんの門下OBで40、50代のメンバーである。
それだけに自分のスタイルというのがパターン化するのだが、個々がズレをおこすことでマンネリ化を回避すべく挑発へ向かい、全体としては刺激しあう作品群ではなかったか。
金子照之さんのCGによる幾何学的作品は、今回特に木造空間に於いて、異質さとは別になじんで見えることが新しい体験でもあった。
中尾和紀さんの「KAN]は缶の円の凹凸のある白いキャンバスと黒いキャンバスのレリーフ的作品。
69年代のケリーの浮かび上がる影の作品を連想するのだが、
平面対物体、物体対人工、人工対有機の狭間をゆれながらズレようとする現実であるのだろう。
林田龍信さんの段ボール紙に三体の観音菩薩像を描いたF100号の作品には驚いた。
何の前触れもなく観音菩薩が登場したからであるが、
影を潜めていた林田さんの空間解析が再燃したようである。
概念としてはいかようにも絵画表現は自由でなければならないが、また、身体をとおした指や手で描く軌跡に勝るものなしと改めて黄美展を見ておもうのだった。