服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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東北へ

福岡から仙台まで1時間30分。
東京までの時間と同じだ。
富士山、猪苗代湖会津磐梯山、そして、仙台空港着陸時に海岸線の流された町跡が見えた。
仙台空港から仙台行きの電車に乗ると前の座席にふっくらしたおばさんが座っていた。
間をおいておばさんから話しかけてきた。
「旅行ですか?」
「いや、ちょと用がありまして・・」
JALの機内掃除が終わり帰っているんですよ、と聞けば、
あばさんはあの街ごと流された名取の被災者であった。
当日仕事終わって家もどると、家も街もなんにもなかったと、
あっけらかんに笑顔で話すのであった。
街は復興の兆しもない。
街の人はそこに住みたくないと、出て行った。
おばさんもご主人の実家の福岡飯塚にいく予定だが、ご主人が癌で入院中。仮設住宅にストーブはあるけど冬は寒く越せそうにないと心配顔の70歳。
親戚の家も流され、5人が無くなったとも。
仮設住宅のある名取を通か、仙台に着く。
いやね、今日は仙台の街をぶらぶらしたくってね。
少し判るようでもケセラセラでも被災者の方々の気持ちを推し量る秤はなかろう。
仙台に着くまで25分間のおしゃべりであった。
よそ者とおぼしき男にふと話しかけたくなったのであろう。
おばさんのような人たちが車内にも街にもどれだけいらっしゃる、というのだことだろう。
「お元気で」と言って別れたのだけど・・。


仙台から仙山線にて山形に向かう。
4両編成のローカル線である。
先頭車両の運転席を通して子供のように前方を見ていると、かつて運転席に乗せてくれた国鉄職員だったKちゃんとの旅を思い出す。
何処まで行っても山。雑木の山が紅葉し始めている。
黄色が多く、フィンランドの森の黄葉を思い出す。
そういえば、山形出身のK氏の奥さんが”おしん”のように佐賀に来て「杉山なんて見たことない」と驚いてたね。
山形に入って山寺という駅に着くと、多くの人が降り、リュック背負ったトラッキングスタイルの人たちが同じくらいたくさん乗り込んできたが、十分に座れた。
遠くのふもとにうごめく人々の姿。長い階段を上っているようである。
そう、ここがあの芭蕉が”岩に染み入る~・・”と詠んだ立石寺と判ったが、先を急いだ。