服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

tomatotiger8.sakura.ne.jp

山崎正之のアート展

イメージ 1
山崎正之のアート展”竪穴式住居らしきものからピエタまで”
5月1日(火)~6日(日)ギャラリーアートえる
壁面を余すところなく、いっぱいに作品が飾られている。
吉野ヶ里の竪穴式住居とピエタの写真、コピーを手がかりに一つ一つ大小の作品が作られ、
それらを組合わせて展示することで,あるイメージを現出させようとするインスタレーションである。
パネルに貼り付け着色されたティッシュは和紙のようにも見え、装飾古墳を想起させる。
基本的には、従来のお経、漏斗谷村の住居を踏襲しており、さらに今回、吉野ヶ里ピエタをつなぎ融合させようと試みている。
作者がどこに存在し位置するかということは、「人間は・・」という問いと
イコールに重要な問いである。
メモに等しい現実の断片(写真、コピー)をコラージュしてマスキングし、
封じ込め、切り取る作業(時間)の裡にイメージや言語を見えるものにしようという方式を取っている。
お経はすでに文字の範疇を越えイメージを具現化したものであると言えなくもなく、経典なのである。
創造者には膨大な時間の集積や痕跡は空気や時代でさえ、現代よりも揺るぎない本質的なリアリズムを感じるものである。
丸(円)は太陽でもあり事象を写し出す鏡にもなっている。
住居のイメージは作者の場合、漏斗谷村の住居とも同じく見上げる屋根の天井裏にあるようで、場所ではなく雨露をしのぐ屋根であり、洞窟へとつながる。
住居を覆い隠す天空うの覆いは、現実の断片をニスでコーティングしたりマスキングする行為そのものにも見えて来る。
今回、ヒモや糸が来光のように放射状に挿入され新たな味付けとなっている。
単につながり、絆と見てもよかろうが、関係性の説明(ジョイント)、露出と云うべきか?
もちろん難が無いわけではなく、けれど50男のやる気、勇気、元気は本気である。
その羅列にも見える個々の諸々をつなぐ装置が画廊空間でもあった。
今回も再び、アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言(巖谷國士訳)」の一節。
「親愛なる想像力よ、私がおまえの中でなにより愛しているのは、
おまえが容赦しないという点なのだ。」