服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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60年代アート

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現代美術はこんなにおもしろい!(岡山県立美術館9/27~11/4)
ネットで調べ、岡山駅のポスターで見たので行ってみた。
この展覧会の「自由になれる」か「おもしろい」かは疑問だが。
60年代アートを中心に現代の若手まで35人。
60年代のアートは、どこか深刻でデカダンス。自由かどうかはギモンだが、暗いトンネルを抜けるようななつかしさがある。
子供の「影」を描いた(故)高松次郎さんの作品が特にその時代を象徴しているように思う。てんてんばらばらの表現の時代で海外に渡って行った作家も多く、しかし、高松さんは日本に留まり世界を意識したハイクオリティな表現で時代をリードしていくんであるが、時代のズレが埋まらない苦難の道ではなかったのか。
同じく中西夏之さんがいらっしゃるが、60年代の美術とは一線を画したような道を進んでおられ、広い観点からすればNO1であろう。
ここには、中西さんの作品はなかった。ほんの一部にすぎない。
滝口修三、吉原治良河原温草間弥生、三木富雄、白髪一雄、菊畑 茂久、馬大竹伸朗福田美蘭束芋など。
中学生が団体で来ていた。各グループに分かれそれぞれの作品の前に座り、学芸員や(ボランティアの解説者とおぼしきお姉さん)とトークをやってた。的を得てないことを云うお姉さんもいたが、皆たのしそうではあった。
かつて、ストックホルムの現代美術館で小学生の団体がおもしろがってたのをうらやましく感じたもので、「現代美術がおもしろい」とかい言ってる場合じゃない。
日本の子供たちは十分に現代感覚を持っている。乗せて褒めてほっとけば、写生やデッサンと同時に自由なアートをやれるんじゃないかと思う。
そのためにも子供たちに一度ならず現代アートを見て欲しい。
この展覧会に賭ける美術館側の思いは、街や駅のポスター、展示キャプションのポイントを押さえた解説やアシスタント学芸員の数の多さに如実に表れてはいるが、中学生たちが帰ったらガランとなってしまうのであった。
東京の近代美術館や高松市美術館に行けばもっとたくさん見られるのであるが、あえて開催しようとするところは、美術館としての生命線、存亡を意識したフレッシュでアクチュアリティなければとの顕れであろう。
蛇足として、展覧会を見る度に思うことがある。
他人の作品を見るばかりで、そこに自分の作品がないということを、それが問題のようだ。