服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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筑紫美主子さん追悼

佐賀にわか筑紫美主子さんが本日朝(7時7分)亡くなられたとニュースで報じている。享年92.ご冥福をお祈りします。
昭和30(1955)年代、家が近くだったのでこどものころよく通りに水を撒いて掃除する青い目の美人の筑紫さんを知っている。
数日前の夜も筑紫さんの家の前を通った。
人に反応したセキュリティーライトがぱーっと玄関を照らす。
車椅子用の折りたたみのスロープが玄関脇においてあった。ゆえに家にいらっしゃるのかと思っては見たが・・。
当時は筑紫美”主”子ではなく筑紫美”州”子さんであった。
いっしょに思い出すのが男前の東京一(あずまきょういち)さんである。
東京一の幼い娘さんが舞踊をすると客席からおひねりが舞台に乱れ飛んだものだ。
いつか東京一さんの消息を筑紫さんの息子さんにたずねたところ、福岡で小学校の用務員をされているとのことであった。そのご、どうなさっているのか・・。
筑紫さんのにわかはもちろんおもしろいのだが、子供心には女剣劇師(筑紫さんはその言葉を嫌われていたようだけど)の印象が強い。
また旅姿の筑紫さんが悪玉の東京一さんらをばっさばっさと切り捨てるのは、かっこよかった。
「記憶の風景」に佐賀劇場時代の筑紫さんのことを描(書)いた。
その絵の陶板を最近玄関に飾ったばかりのところであった。
NHK佐賀で小高さんがプロデュースした「追憶の風景}にも出演してもらった。佐賀劇場の思い出に涙を流された。ボクにとっては貴重なビデオとなった。(あれっ?ベータだったかも?)
佐賀で最初の芸人であり、同時に日本においてもこの道のパイオニアであろう。長きに渡る佐賀の文化の灯がまた一つ消えた。
政治経済以上に文化は重要なものである。