服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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磁場展前夜・真子さんのパイプ

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磁場展の飾り付け。今回のメインは故真子さんの「真子達夫SUNを偲ぶ展」である。ボクが高校時代に憧れていた真子大先輩の「パイプシリーズ」を40数年ぶりに見る。日展系的地元画壇の絵の中で垢ぬけた日本離れした平面原色のパイプシリーズは異端であり、ボクらには未来の絵画に見えたものだ。それが脳軟化症に倒れ、復活されてからはがらりと別人のように作品が変わっていかれた。「怠惰」「生きる」「破壊」収穫」など身近な心情をこれでもかというぐらいに描きこむ精神の絵画へと向かわれたような気がする。観念的、無機質、平面なパイプシリーズとはあまりにも路線が違う。以後パイプシリーズを忘れたかのように、それについて語られる事もなかったようだ。当時日本にもアンフォルメル、抽象表現主義ポップアート、コンセプトアートらが、徐々にではあるが紹介されはじめていた。その潮流を早くも感知して取り組まれてたのであろう。それがボクら高校生には新鮮で刺激的であったようだ。


真子さんをはじめ、規制の美術に飢えていた探究心旺盛な佐賀高校美術部のOBの方々が地方のかた田舎にあっても、世界の動きを捉えようと若き情熱をぶっつけておられたように推測する。その動きは周辺の佐賀大特設美術科の学生にも及んでいたとはおもうのだが、真子さんがグループ「青いカッチョ」を立ち上げられてからは、川本達也さんや平方和善さんらが真子さんに続いておられたような印象がある。川本さんは今もなおその路線を邁進されている。


ボクにしてもいろんな意味で真子さんの存在、影響は大きく、当時、パイプシリーズのブルーの色がきれいだったので「何の青ですか」と訊いたことがある。そしたら「コンポーズブルーよ」と一言。ボクは画材屋でコンポーズブルーを手に入れると、コンポーズブルーばかり使ってアメリカンアートを意識したポップ風な絵を描き出したのだったが、それも、真子さん譲りだったなのかも知れない。


それでは真子さんの”パイプ”が何であるのか?菅井汲さんのパイプやJ・ロウゼンクィストのチューブ、チャップリンのモダンタイムズを想うのであるが、近代、現代のテクノロジーの象徴であったろう。薄い下塗りに一回塗りの薄い色面のミニマルアート(最少芸術)でもあり、すでに、当時では考えられない斬新さである。ステラ、荒川修作が見えるのであるが・・。今回展示したパイプの作品で山の断面を描いてあるところから、機械化と共存するのか否定するのかという・・、門の前に立っておったようにも見受けられる。後々の作品にでははっきりと「自然破壊」と言っておられ、草花や弱者へ目が注がれ、「怠惰」のように自他共にきびしく、流行を追うような表現からは決別し、否定的でもあられたのではないかと思う。


しかし、表現スタイルこそパイプシリーズとは逆行して見えるのだが、思想せいはなんら変わっておられないと今回の作品を見比べて感じる。二律背反であることが真子さんと言えばそれだけに、判ることだが、真子さんが何を佐賀で起したかったのか、謎の部分も含め検証すべきであろう。若いころの作品をもったたくさん見たいものである。謎の多い人である。


飾り付けが終わり、焼き鳥屋で汗流し会。妙に酔えないけど磁場酒はうまい。