高田渡さんの17歳の日記”マイフレンド”
1967年、大好きだった父豊さんがなくなる。
『・・「本当に人の一生とはあっけなく終えてしまうものだなあ!」なんて思ったのだった。
九州に来た理由というのは、このおばさんがぼくに「学校にいかないか!」と話をもちかけたことからである。・・』
鹿島実業高校の夜間に合格する。4年間頑張るぞと希望に燃える。
おばさんに自転車を買ってもらい、どこへでも乗り回す。
”自転車に乗って”は鹿島でのことではないのか?
従姉・千勢子さんや学校の友達のこと、店番、珍しいレコードを注文し買いあさり、ギターの練習、ピート・シガーに手紙を出したこと、職安通い、居候の気まずさなどがつづられ、自転車で赤門前の公園にいき、ベンチで1時間寝ていたとも・・。
ところが、何があったのか、(3月に佐賀に来て)8月には東京に舞い戻ってしまう。わずか5ヶ月である。
進むべき音楽への覚悟、決意、希望等が随所に散りばめられている。
亡くなる56歳まで、それはブレルこともなく貫かれ、高みにまで至ったようだ。
また、鹿島のおばさんのご主人・中尾蔦一さんは日本画家であった。
PS画像は蔦一さんが描かれた絵のスケッチ。おばさんの香さんと従姉の千勢子さん。
2013年の磁場展でゲスト参加・ともしびプロジェクトを開いた長友心平くん。
鹿児島出身で佐賀大卒の心平くんが、
現在NHKの教育TVで”ペットを描こう”をやってる。
ペットの似顔絵の本を出し、英語版で海外にも売り出されているという。
ペットの似顔絵本なんて、ひょっとして日本では初めてじゃないのかな?
ペット屋がだめになって、苦労していたようだが、あきらめずやってたんだな。
ご活躍ください。