原動力
小池絵美子さんの個展をあーとエルで見る。 S100号5点と小品数十点。 平面作品ではあるが、60年代のラウシェンバーグやJ・ジョーンズのようなコンバイン方式である。それが、またすこぶる土俗的日本の祭り・因習やエロスが漂う作品となっているところが、東洋的日本人たるところかとおもう。 作者は「工作をしているようなものです」とおっしゃる。正にコンバインである。 日常の時間が有効に可動し作用しているのだろう。 止めどもなく画面狭しと言葉(イメージ)が塗り込められ、消され、はげ落ち、張り付けられ、雑然とはしているが、一つの思想、世界へと旅だっている。 原稿用紙の絵画とでもよべそうなひっかき、張り付けが文脈をつなぎ、作品の地平へと向かっている。 感性の切れ味のよさは、小品のクレパス画、貼り絵にも見られる。 小品で解放さし、大作で閉じていくというようにバランスがイイ。 日頃の時間の使い方がイイのであろう。 日常と作品とが一体化された無理のない理想的な姿と、お言える。 「工作をしている・・」と言う感覚が新しいことでもあるようだ。 広江の田んぼにいた。 今日も陽が落ちていく。母船のように長く大きな雲が夕陽の前に立ちはだかる。 また、どこかで誰かが、思いは様々にこの夕陽を見ていることだろう。 半袖では肌寒い。