服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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漁港が現実と虚構に見えるとき

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廃船の影でおしっこしてる時、漁師の女性が車からおりて、こちらへやってくる。いかん。あわてたチャックを閉める。昨日、同町のT化粧品店でお会いした色白の女性であった。土手の上からボクが見えたとやってこられた。漁師服に身を包んでいらしたが、顔には化粧が。漁港すべての人と知り合いになりたいな。ありがとう。 スペインの映画監督・マナハンドロ・アメナーハルの映画を見る。「テシス」「オープン・ユア・アイズ」。現実と虚構が錯綜する。人間の位置は虚構が現実か。何を持って現実と認識する。単に現実とおもわされてるだけで、虚構が現実ではと、二転三転、反転。映像のコワサも上手いものだが、テーマがもっと怖い。自分はどこにいるのだと確かめるも、哀しいかな、アレは映画なのだとしておくに止まる。また「マトリックス(監督・アンディ・ウォシャウスキー ラリー・ウォシャウスキー )」はコンピューターの中での現実と虚構だ。釜山の史跡を巡っている時、ペグさんは池に移る紅葉と浮かぶ落ち葉を見て言った。「スモール コスモス」。反復の連続性なのである。思考も連続性の上にある。