服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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監督采配

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今日はなんといってもコレ。佐賀北高対帝京高戦。勝つとはおもっていたが、ほんとうになって最高に感激した。これが現実、事実なのだ。予想通り相手監督が乱れてくれた。こうなるとしめたもの。どんどんナーバスになり青筋立てて興奮していく。これにてまず勝負あった。一方北高監督は、スクイズ失敗にも、一見ぼーっと、指でポーカーフェースのコメカミをかいているのであった。仕事人の中村主水のように・・。北高ののびのびプレーが勝ちを呼び込んだのは、当然だが、同時に相手が、じわじわと自滅していく形でもあった。北高と対戦した高校はまず監督が、どこもつぶれた、つぶされたという印象がある。普段やってることとちがうことをやったり、指示があいまいになっていくのだった。選手にすれば「やってられない・・」の一言も吐きたくなりそうなのだが、そこが高校生。監督らに精神的安定と強さが欠如しているようにおもえてならない。それくらいのことで、名監督だのベテラン監督などといってる解説者もおかしいのだ。百崎・たこ焼き監督は、「なるようになるさ・・」とまるで昼行燈の構えにも見える。それが、本当の姿であろうはずはない。必殺仕置き人たるは、そうなのだ。のびのびとプレーし闘志を表現しても、どこ吹く風の素敵な北高球児。素朴なんてものじゃない、たくましいのだ。いつからこうなったと問たくなるも、この百崎監督あってのことで十分だろう。快進撃をやってればこそ言えるという論理ではない。高野連も関係者もこれで飯食ってる連中も、きれいなキャッチコピーとは裏腹に、脆弱に露呈する制度疲労に目を向けない。かたく貝のように解説者もくちを閉ざす。そのためにもぜひ優勝してほしいと願う。