服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

tomatotiger8.sakura.ne.jp

四畳半のごちゃごちゃ

イメージ 1成瀬巳喜男特集を見てる。
「めし」「おかあさん」「稲妻」「山の音」「晩菊」「浮雲」など・・。
家の中はモノでごちゃごちゃ。
擦り切れた畳。
敗れ障子。割れてふせたガラス戸。開けっ放しの縁側。縁側から見えるバラックや畑。雑魚寝に兄弟喧嘩、たくあん麦めし、と、どれもこれも昭和30年代。
同時代だけにそのまま町を撮れば、どうしようもなく破れかぶれの戦後の町が写ってしまうのだろうと思うくらい前後に写るものらがおもしろい。
現在あちこちに昭和の街を復元したような昭和ナニナニがよくあるけど、到底およばない。
映画のフィルムかボクらの記憶の中にしか残らないもののようだ。
美術スタッフにしても、自分が住んでるあばら家をそのまま再現すればよかったろうし、と思えるくらいにリアルに凝ってる。
三丁目の夕日ははるかかなた・・。
成瀬監督作品に限らず、当時の映画には、なつかしさとは違う事実がある。
日本中どこにでもあった風景と人々である。
ボクが描いてた「記憶の風景」でさえ、「これベトナムのこと・・」と言ったギャルもおり、マジにそんな生活知らないという大人もいた。
最初から現在の日本があるとおもっている。諸外国さえ下に見る摩擦の原因。ほんのこの間まで、新聞紙でケツ拭いて、肥桶かついで、畑にまいてたなんて、信じないし、わざわざ言うこともないけどね。
映画は感性を躍動さす。絵画美術もそうでなくては・・。
クロサワさんは言ってた。
「絵かきになりたかったけど、絵だけでは表せないものがあるような気がした・・」と、そして映画の世界へ・・。
その逆を言った画家もいるのだろうが・・。