晩鐘
方、K子さんが見えるので空港にいく。稲刈りが終わった田んぼに藁を固めた円筒形の物体がいくつも立っていたり、転がっていたり、また、白いビニールで覆われた円筒形もあり、収穫後のたのしみな風景である。見る度に現代アートのインスタレーションのおもいを強くする。この遅々と繰り広げられる生産、収穫、労働の大地の営みは、ボクの目には大地の賛歌でもあり、余白のアートである。このスケールをどう小さき紙に取り込むか、どう模倣するかなど、無駄なことのように見えるが、連綿と脈々と続けられている。疑問もなくそれを「よし」とした方向さえある。風景を理解したところでひれ伏し、感涙するだけでは、未来はない。近代と旧代の挟間で生き、そこで行為する・・。スケールをも自然風景に寄りそうクリスト。ミクロにマクロを見ようとするテクノロジー。そして、生身の人間は生の表現で息をつなぐしかないのである。最近では藁焼きを止め、藁もいろいろと利用されるようで、円筒の藁を山積みした12トントラックが田んぼから離れてどこかへいく。減反減反で大豆の作付面積も年々増え、稲刈り済んで、大豆畑の黄葉がみごとである。「まぁ、きれい」K子さんも四季を通して、田園風景をたのしんでいらっしゃる。