服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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坂本善三さんの空間

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八女から黒木に入ると例の「黒木です ひとみが見ている交通マナー」の看板を見やり、矢部、中津江と山越えで小国(おぐに)の坂本善三美術館へいく。片道2時間。久し振りとはいえ、こんなに遠かったかと思う次第であった。「画布200号 大作でつづる善三の世界」善三さんの200号の大作がずらり。お客は我々だけ。善三さんの作品展にしては、たいへんさびしい。抽象画の中に一点、抽象前の200号の具象画があった。農家と牛とクワやスキをもつ逞しい3人の農夫が渾然一体となったプロレタリア絵画風でもあり、また海老原喜之助さんに通じる労働する人体の謳歌のような骨太の具象画である。それから抽象画家としての坂本善三が始まるのだろうが、あの時「抽象と思われようが、僕は具象をやってる」とはっきりと言われた。その逆でも同じことなのである。抽象表現の「連帯」「構成」「空間」の一連の仕事に芸術家のその追求と方向、変化がよくうかがえる展開になっている。「空間」の頃の作品が最も充実されているようにおもう。以前から感じてはいたのであるが、ジャスパー・ジョーンズらの抽象表現と通じる絵画空間であると確信する。善三さんにそんな意識はないとおもうが、国は違っても同時代というものが、J・ジョーンズをも小国化してしまうのである。小国という山間地の農村がもつ「空間」でもあるに違いない。しげしげと見るでもないが、善三さんの作品に触れることは、安堵となだらかな高揚を喚起される。帰路の景色の中に善三先生と出会った日のことが浮かぶ。

(掲載の写真は坂本善三美術館公式ホームページより使わしていただきましたが、本展覧会のものではありません)