服部大次郎の日々雑感2024⇦2006

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山下清展

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上:山下さんの鉛筆画  下:それをまねたボク(小学3年生)の貼り絵。

 

朝、「山下清展」の会場式(県立美術館 9月13日から10月21日)にいく。
山下清展が美術館であるというのは珍しいのではないか。
デパートなどの特設会場で催されることが多かった。時の流れを感じる。
過去、2,3回は見ているようだが、はっきりした記憶がない。
改めて、予感めいて今回はたのしみにしていた。
この時代にどう見えるか。強いインパクトがありそう。山下清が美術の流れの中でどう位置づけられ、どう自分とかかわっているかということなど。
絵を描きはじめた小学から中学生のころは蝶やトンボや草花をわら半紙いっぱいに大きく描いている。日常の身辺の出来事を絵日記にしたり貼り絵にしたりと、ボクラの子供のころと似たり寄ったりであるが、それが、高校生の年代まで、いやそのもっと先まで続けられている。
あまり大人にはなりたくなかったようだ。ミチクサ食ったり遠回りしたりの日々であったのだろう。
20代のころの「鉄条網」「高射砲」は荒々しく激しく厚塗りの油絵のような迫力だが、速いテンポで貼り絵がなされている様は、版木に向かう棟方 志功の祈るような無心な気迫に満ち満ちているようだ。
その時代以外は日常のありふれた出来事を「ふしぎだな・・」という子供のような好奇心で描いてある。
特別な物じゃなく、ただ高い物、広い場所、働く人たち、小さきものたちと清さん流の心のときめきなのであろう。
あまりに普通で気負いもなにもない心のときめき。
現代アートの入り口であり出口である。
稚拙、素朴、障害者との捉え方はここには必要ない。
観察に鋭く、記憶力よく、頭よく、字も上手く、文章も上手いが、やはり絵が一番。好きな事なら何が何でもやる。  
後十年長く生きておられたなら、国際展などで評価されることもあったろうにと思う。
しかし、30代でライフ誌に取り上げられ、そこがテレビドラマの喜劇にもなる通り逆輸入の文化に翻弄される周りの人々のおかしさでもあるのだが、一躍有名画家となった清さんは、それからしても立場上好きに自由に描けなくなったのではないかと察するに余りある。
先のことはだれでもわからない。優しさ、愛情、胸のときめきが普通に展開されている。迷った人の悩める人の現代人の返るところでもある。
ゴッフォの自画像を見た影響から西洋絵画風に立体的に描いた貼り絵の自画像にしても桂作ではあるが、清さんにはなじめなかったのではないかと思う。いろんな情報は収集しても「ふしぎだな・・」と思うときめきや感覚がないものは、たのしくなかったにちがいない。それでも頼まれれば「いやと言えない」人でもあったようだ。有名無名と云うことも清さんには関係なかったし、おごる諸々の輩も久しからずとはいかず。
汽車のトンネルを描いた鉛筆画とマジックインキ画があった。
その貼り絵はなかったが、トンネルの前に立つ清さんの後ろ姿の写真が、あったのには嬉しくなった。
ボクはそのトンネルの貼り絵を小学三年生の時にまねて貼り絵にした。
父の土産の菓子箱の蓋にその絵が載っていた。
トンネルと線路と左に海。それだけでもう十分に惹きつけられた。
しかし、途中からその丹念さには真似が出来ず、手抜きをしたが、女性の大宮艶子先生はAに三重丸を下さった。
清さんは有田でもトンネルの絵を皿に描いたらしいが、その作品は行くえ不明とのこと。千葉のトンネルとは推測するが、一番好きな場所ではなかったのかと想いを新たにした。
線路がツーッと走りトンネルの暗い穴の向こうにまた明るい小さな穴が見える。なつかしいような何かイイ。よくわからないけどうれしくなる。子供心にあったものは、疑いもなく大人になって消えず衰えず、やはり不思議なのだ。不思議ほのぼの、テレビなどの映像で見ても、はっと引き込まれる。
昔、それを見たく、内緒で電車の運転席に乗せてもらいトンネルを走ったことがある。しかし、ボクの中ではその絵はまだ完成を見ないでいる。
清さんもだれよりも描くことが好きだった。
※上が清さんのトンネルの鉛筆画。下は大次郎が菓子箱の絵を見てマネた貼り絵。